和田弘毅
新入社員が働き出してもう3カ月が経過した。年齢を重ねたせいか、時間の流れを感じるのに「もう」という枕詞が付くのは悲しくなるが、若者たちのすがすがしい姿勢と動きとしぐさには感動する。
新入社員は学びたい、それを実行したいという向上心のかたまりである。そこには迷いもあり、不安もあるが、そうした時に先輩が一言、「うまいなぁ」と褒める機会があると、目を輝かせ若竹のごとく日々の成長がみられる。
ところがそれは新入社員だけの話ではない。高齢者ほど褒めて欲しいと、このごろになって気付いた。何を褒めて欲しいかといえば、ちょっとした五感を、あるいは第六感を褒めてもらえるのがとてもうれしい。
時に「そんなのはご存じでしょうが……」という事柄、例えば年長者にとっては知っていて当然と言われるようなことであっても新たな気付きとなる場合がある。年齢と共に肉体が成長しなくなるのは分かっている。しかし、そうした何気ない問いかけが知識ばかりではなく、五感に基づいた肉体的、精神的な部分に輝きを持って響いてくるのかもしれない。年齢と共に自分の能力、才能に気付きにくくなるので、とってもありがたい。
私が敬愛する叔父は106歳で昇天した。人の死は老いも若いも関係なく、生きるものに悲しみとも落胆ともつかない忘失を生むが、叔父の言葉や一挙手一投足、そして何かにつけて褒めてくれたという想いは心のひだに残っていて、ふとした拍子に見えない力となって後押ししてくれた。
いくつになっても他人に褒めていただけるというのは、「えっ、全く気付かなかった。そんなに新しい喜びを味わうことができて!!」と感謝するもので、それによって心と心が温かく触れ合っていくため、より良い人間関係を築くのにも役立つだろう。褒めるというのは本当に素晴らしいと、あらためて思う今日このごろである。