鰐淵 正機
(和田精密歯研監査役)
地元中学校の職場体験で来社する学生さんに、義歯だけでなく手指のエピテーゼを見せることがある。少々驚きつつもリアルさに惹かれた目が輝く。
このほど義肢装具を製造する川村義肢株式会社様を見学する機会に恵まれた。義肢と義歯。語呂が一緒。あいにく、同社が有する史料の多くは新潟県長岡市にある新潟県立歴史博物館に貸出中だったので、後日、博物館の企画展「守れ!文化財」を訪れた。
なぜここまで駆り立てられるのか。それは会社見学の際に、日本で最初に義肢製作を始めたのは大阪の「歯科技工師」奥村義松が明治中期に創立した奥村済生館だと教えられたからだ。義肢も義歯も、機能と審美の回復を目指す点が共通している。
企画展には、全国の盲学校やろうあ学校で保存されてきた点字や手話に関する古い資料をはじめ、戦争で足を失った兵士へ天皇陛下より下賜された義足や、サリドマイド薬害被害の幼児向けの動力義手、水田作業用の竹製の義足、棺に納める紙製義足など、普段あまり見ることのできない貴重な品が陳列されていた。
近年の競技用に開発された義肢や装具はデザイン的にも優れ、機能美すら感じられる。これらの製造は、障害を補助するだけでなく、より快適に使えて暮らせることも製造開発の着眼点になっており、歯科技工でも勉強になる。
例えば、ラッパーミュージシャンのダイヤモンドの歯ではないが、子供が遊び感覚で1本ずつ歯に色付けできる(歯磨きで落とせる)ぬり絵ペンとか、高齢者の義歯が苦痛なく簡単に外せるようになるジェルなど、従来の感覚を超えた発想が使用者の役に立つ日が来るかもしれない。
展示室を一巡した後、アンケート用紙に「障害があっても公平な社会」と書いて投函した。そう、豊かな心、豊かな暮らしの多様性である。
(W/W)